日本の就活に影響を与えた、『絶対内定』の時代
2011.8.23 2037Views
こんにちは。常見陽平です。
2011年8月20日、我究館の杉村太郎さんが逝去されました。
がんだったそうです。47歳という若さでした。
杉村さんという存在の大きさ
杉村さんとは、直接お会いしたことはありません。
我究館設立者、『絶対内定』シリーズで知られている彼ですが、私にとって、最初の接点はテレビで見た「シャインズ」でした。
会社員にして、歌手。
コミカルな「私の彼はサラリーマン」をテレビの深夜番組見たのが最初でした。
いや、当時は「シャインズ」の名前は知っていても、杉村太郎さんの名前は知らなかったのですが(すみません)。
その後、我究館の創設者、『絶対内定』の著者だと知り、しかもシャインズの人と同一人物だと知り、驚いたものです。
私はもうすぐ、著者デビューして丸4年なのですが、「ミニ杉村太郎」と揶揄されて「私は、私だ」と思ったこともあれば、
しまいには駆け出しの頃は「杉村太郎さんみたいなタイトルの本を書いてくれ」と出版社に言われ、カチンときたこともありましたが、その度に存在の大きさを認識していたものでした。
日本の就活に影響を与えた『絶対内定』
90年代は日本の就活が大きく変わりました。
就職氷河期、就職ナビサイトの登場、就職協定の廃止、そして、『絶対内定』の登場です。
(なお、雇用のあり方や、企業の組織の変化などを含めるともっとありますし、就活においても変化はまだまだあるわけですが、ここではやや端折って紹介しています。)
『絶対内定』は日本の就活に「自己分析」という行為を一般化させたものでした。
実際、90年代の就職ジャーナルなどをみても「自己分析」関連の特集が定番になるのは90年代半ば以降です。
まさに、『絶対内定』が登場した後でした。
80年代後半のバブル期に就活した先輩は「俺は自己分析なんかしなかったぞ」なんて声を聞きますが、この手法が大きく広がったのは90年代なのです。
就職氷河期による就職難をどう切り抜けるのかという時代背景、そして内定がゴールではなく、いかに自分の人生を切り開くかという発想から、自己分析は浸透していったのでした。
もっとも、では学生が自己分析にちゃんと取り組んでいるかどうかなどは別問題ですが。
もちろん、『絶対内定』は賛否両論を呼んだ本ではありました。
就活の煩雑化や、ゲーム化が進んだのではないかという指摘もあります。
好き嫌いがある本とも言えるでしょう。
ただ、根本にある想いというのは自分の強みを活かして人生を生き抜くという発想ではないでしょうか?
杉村太郎さん、お疲れ様でした。
安らかに眠ってください。
合掌。
執筆者プロフィール
常見陽平@yoheitsunemi
評論家北海道札幌市出身。一橋大学商学部卒業。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。
リクルート、玩具メーカー、クオリティ・オブ・ライフ(現在:フェロー)を経てフリーに。
雇用・労働、キャリア、若者論などをテーマに執筆、講演に没頭中。
2015年4月 千葉商科大学に新設された国際教養学部の専任講師に就任。
著書多数。